大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

秋田地方裁判所 昭和55年(行ウ)12号 判決 1986年12月19日

原告

竹村キヤ

右訴訟代理人弁護士

金野繁

金野和子

横道二三男

深井昭二

高橋敏朗

塩沢忠和

沼田敏明

川田繁幸

山内満

被告

地方公務員災害補償基金

秋田県支部長

佐々木喜久治

右訴訟代理人弁護士

早川忠孝

内藤徹

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、地方公務員災害補償法に基づき昭和五四年一月四日付でなした公務外認定処分はこれを取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  訴外竹村吉民(以下「訴外竹村」という)は、昭和一八年四月教員として採用され、昭和五一年四月一日から秋田県大館市立釈迦内小学校(以下「本小学校」という)に教諭として勤務していたものであるが、同五三年八月一九日午前一一時一〇分ごろ、本小学校三年二組の教室で行われていた学年部会の打合せ中突然倒れ、直ちに大館市立総合病院に収容され、脳梗塞の病名で治療を受けたが、同月三〇日午前四時二〇分ごろ死亡した。

そこで、訴外竹村の配偶者である原告は、昭和五三年九月二六日被告に対し、訴外竹村の死亡が公務に起因して発生したものであるとして地方公務員災害補償法四五条に基づき公務災害の認定を請求したところ、被告は同五四年一月四日付で本件疾病は公務に起因したものとは認められない旨決定(以下「本件処分」という)した。

原告はこれを不服として昭和五四年二月二七日地方公務員災害補償基金秋田県支部審査会に対し審査請求をしたが、同請求は同年九月二五日付で前記同様の理由で棄却されたため、更に原告は地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたところ、同五五年四月三〇日付で再審査請求を棄却する旨の裁決がなされ、そのころその送達を受けた。

(二)  しかしながら、訴外竹村の死亡は2以下に述べるとおり公務上死亡した場合に該当するものであるから、これを公務外災害と認定した本件処分は違法である。

2  訴外竹村の過重な勤務状況

訴外竹村の脳卒中発症までの勤務状況は次のとおり過重なもので、同人に慢性的な疲労を蓄積させるとともに、長期間にわたる精神的ストレスを発生させていた。

(一) 昭和五一年四月一日から同五二年三月三一日まで(昭和五一年度)

訴外竹村は、教員に採用後本小学校に赴任するまで、いずれも秋田県内の小学校(国民学校を含む。)で、専ら高学年の児童を担当し、低学年の児童を担当したのは小学三年生を一度担任しただけであつたが、昭和五一年四月一日本小学校に転勤して来るや、同人の意思に反して今まで経験のない一年生の担任を命ぜられたので、学校長に対し上級学年担当への変更を申し出たが聞き入れてもらえず、やむなく一年生を受け持つことになつた。一年生の担任は通常低学年児童教育の経験豊かな人、あるいは子供の扱いに慣れた女性教師が選ばれるものであり、訴外竹村のような低学年(一、二年生)担任の経験のない年配(大正一四年九月二八日生れ)の男性教師が選ばれるのは異例のことであつた。

ところで、低学年児童は集団生活に慣れていないため、その担任は単に授業のみならず、子供達の排尿排便から給食指導まで気を遣わざるをえず、その心身の苦労が断えないものであるところ、訴外竹村は低学年児童の指導に不慣れであるうえ、年齢的な衰えも加わり、子供らの指導のため休憩時間といえども教室を離れられず、時には自分の昼食をとる時間もないほどで、肉体的、精神的疲労の度合は極めて大きかつた。また、本小学校は昭和五一年一〇月に大館市教育研究会の協力教授組織の公開研究会(算数)が予定されていたため、訴外竹村はその準備等に多忙を極めた。なお、訴外竹村の授業日程は別紙第一の校時表、訴外竹村が昭和五一年度に出席した会議は別紙第二の会議等日程表(昭和五一年度欄のもの)各記載のとおりである。そのため、訴外竹村は右在校時の多忙さのゆえ、教材研究等を自宅に持ち帰つて行い、これが深夜にまで及ぶことがあつた。訴外竹村は学級だより、個別の指導記録を丹念に作成し、作文の指導等も地道に行つており、これらの作業もほとんど自宅で行つていた。

右の結果、訴外竹村は、勤務による疲労が蓄積し、昭和五一年六月ころから家族にも疲労感を訴えるようになつた。

(二) 昭和五二年四月一日から同五三年三月三一日まで(昭和五二年度)

訴外竹村は二年生を受け持つのは初めてであつたところ、昭和五二年度は二年生に進級した前年受け持つた学級をそのまま受け持つことになり、またこれに加え本小学校の研究主任を命ぜられたので、過密な教務内容は一年生担任時代をむしろ上廻るものがあつた。研究主任とは、その学校の教育方針を具体的に推進させるための企画、立案、実践の中核となる人をいい、年度初めの研修全体計画の立案、研究重点領域の設定と計画、推進委員会、研究部会の企画、運営、授業研究会の推進等の仕事を受け持ち、その役割の中心は計画立案の構想を練り、各会当日まで各分野担当者と連絡調整を図り、各会当日は議事を取りまとめその結果について研究授業者との連絡を密にし、そして最終的にはその成果を日常の授業の中に如何に深化させるかの具体策を検討することにある。なお、訴外竹村が昭和五二年度に出席した会議等は別紙第二の会議等日程表(昭和五二年度欄のもの)記載のとおりである。

右の結果、訴外竹村の疲労は更に蓄積され、昭和五二年四月ころからは疲労に起因する腰痛をおぼえ、一時期朝には正面から両手を引かなければ起床できない状態に陥つた。

(三) 昭和五三年四月一日から夏休み直前の同年七月一八日まで

訴外竹村は昭和五三年度、三年生の学級を担当することになつたが、児童の学級編成替えが行われ、一、二年生時担任した学級の児童と他の学級からきた児童とで新たな学級を構成することになつたため、一学期の間は児童が落着きを欠き、学級運営に苦心した。また、訴外竹村は放送部、PTA文化部、学校運営委員、大館市教育研究会国語部会世話人(司会)を担当するほか、前年度に引き続き研究主任を命ぜられた。ところで、昭和五三年度は本小学校が大館市教育研究会家庭科担当校に指定され、また算数が重点研究教科となつたことから同校の職員全員がいずれかの科目を担当して共同研究をすることとなり、そのため訴外竹村は受持学級の運営に腐心しつつ、四月中は同年度における学校全体の教育、研究計画の想を練り、研究主題、研究組織体制、年間研修日程等を立案し、また四月以降研修委員会等の会議が頻繁に行われ(別紙第二の会議等日程表((昭和五三年度欄のもの))記載のとおり)、その都度教科担当者との事前準備、司会、会議終了後の総括と今後の課題の示唆等に当たらなければならず、四月以降夏休み直前まで毎日多忙の日が続き、学校で仕事を消化しきれないため毎日授業の資料を持ち帰つて家庭で教材研究、学級通信作成等の仕事をせざるをえなかつた。

(四) 昭和五三年七月一九日から同年八月一八日まで

訴外竹村は、昭和五三年七月一九日ころから同月二四日ころまでの間、学期末の事務処理として学級から自宅へ資料を持ち帰り、担任クラスの児童の成績評価、試験答案の採点、通信簿等の記録作成、PTA会費等の会計事務、夏休み中の家庭学習教材の準備、家庭通信の作成等に従事したのであるが、これらの仕事は連日深夜まで及ばざるをえず、更に夏休み初日から二日間にわたつて秋田市築山小学校で行われる研究会で司会を担当するため、その準備も加わり多忙を極め、疲労はますます激化するに至つた。

本小学校は同年七月二六日から夏休みに入つたが、訴外竹村の同年八月一八日までの勤務及び研究会参加の状況は別紙第三の昭和五三年七月二六日から同年八月一八日までの勤務状況一覧表記載のとおりであり、同人が右期間中出勤もしくは研究会に参加しなかつた日は①七月二八日から三〇日までの三日間②八月一日③八月九日④八月一一日から一五日までの五日間となるが、①の三日間は築山小学校での研究会のまとめ、鷹ノ巣中学校の教育課程講習会の準備に、②は同講習会のまとめ、埼玉県川口市での作文教育研究大会の準備に、③は同大会のまとめに、④のうち八月一一日、一二日、一五日は算数教室のための教材研究等にといずれもその前後に開催された研究会の準備等にあてられ、しかもその合間を縫つて家庭訪問を行つたので、同人が夏休み中完全に休養をとつたのは、お盆の八月一三日と一四日のわずか二日間にすぎなかつた。

したがつて、夏休みが訴外竹村の休養とはならず、逆に夏休み中の右勤務が同人の慢性的疲労及び精神的ストレスの度を更に増加される結果となつた。

(五) 発症当日の勤務状況

(1) 高温多湿の気象条件

訴外竹村は昭和五三年八月一九日午前七時五〇分ごろ本小学校に出勤し、同八時三〇分ごろから同一〇時五分ごろまで職員室で行われた職員会議に出席したが、同日は異常な高温多湿(午前九時に、本小学校プールサイドで測定した気温は、二八度であり、大館市消防署が観測した湿度は八二パーセントであつた。)の日であつたうえ、右職員室は、窓が南東に面し、しかもその窓は同室の東南部分全体にあるガラス窓で、日光が同室全体に直射する状態にあり、当日午前中も同室全体に日光が直射していたため室温が三〇度以上に及び、加えて窓に取り付けられていたカーテンが破損していたため同室南東の窓ぎわに席のあつた訴外竹村は後頭部から背部にかけて強い直射日光を受けることになつた(右直射日光を受ける部分の温度は四〇度前後になる)。そのため、訴外竹村は極度の不快感とストレスを有するに至つた。

(2) 会議中の緊張・興奮

訴外竹村は右職員会議に先立ち教頭とかなり強い口調の議論をし、右会議直前に既に興奮状態にあつたところ、右会議においても教頭と次のような議論をした。すなわち、右職員会議の冒頭で教頭から事前に担当委員会等に諮ることなく始業式の日程について、始業式後直ちに児童を町内児童会へ参加させたい旨、また二学期行事予定に関し、遠足を土曜日に、しかも一年生から六年生までの児童をたて割りに分けて実施したい旨提案されたことに対し、訴外竹村は前者についてクラス担任が受持児童の健康状態を観察確認することが先で町内児童会はその後開くべきである旨、後者については土曜日に遠足を行う小学校はほとんどなく、また一年生から六年生まで七〇〇名近い児童をたて割りする方法等実施上の困難が伴う旨各反対の意見を述べた。教頭は、常日頃学校行事に関し教職員に事前に諮ることなく一方的に提案し、強引に押し通すような傾向がみられ、また右会議の際、他の職員はほとんど発言しなかつたことや後者の提案は職員の勤務時間にもかかわるものであり、長年にわたつて秋田教職員組合大館支部の委員長の職にあり、職員の勤務条件等に関心をもつていた訴外竹村にとつては決して黙過しうる問題でなかつたので、同人は、極度に緊張・興奮した状態で反対の意見を述べたのである。右のやりとりの結果、訴外竹村は興奮状態が昂じ、極度に緊張・興奮した状態に至っていた。

(3) 訴外竹村は、右職員会議の後午前一〇時二〇分ごろから同一〇時五〇分ごろまで、本小学校三年三組の教室で開かれた図書指導部会に出席したが、同部会で指導部会と委員会活動の運営機構を年度途中で変えるのはむずかしい旨発言した後、タオルを机の上に置き、次第に黙し始め、右部会終了後午前一一時ごろから本小学校三年二組の教室で開かれた学年部会に出席したところ、同一一時一〇分ごろ突然倒れたものである。

なお、学年部会が行われた三年二組の教室は、その南東側に桜の老木があつて風通しが悪く本小学校の校舎内で最も湿気の高いところであつた。

3  大館市教育委員会及び学校当局の健康管理義務違反

(一) 大館市教育委員会及び学校当局の健康管理義務

労働安全衛生法は、使用者に対して、労働者に各種健康診断を受けさせることを初めとして、労働者の健康管理を義務づけており、この趣旨を受けて学校保健法八条は、学校の設置者に対して職員の定期健康診断を義務づけ、同法九条は、学校の設置者は前条の健康診断の結果に基づき治療を指示し、及び勤務を軽減する等適切な措置をとらなければならない旨規定している。そして、学校保健法施行規則一〇条は、職員の健康診断における検査項目として、身長及び体重、視力、色覚及び聴力、結核の有無、血圧、尿、胃の疾病及び異常の有無、その他疾病及び異常の有無を規定し、同規則一二条は、学校の設置者に対して健康診断票の作成を義務づけ、同規則一三条は、健康診断に当たつた医師は、健康に異常があると認めた職員につき、別紙第四の表一記載の生活規正の面及び医療の面の区分を組み合わせて指導区分を決定するものとし、学校の設置者は、この指導区分に対応する別紙第四の表二の基準により事後措置をとらなければならないと規定している。

なお、右の法令中の「学校の設置者」とは、公立学校の場合、都道府県又は市町村などの地方公共団体を意味するが(学校教育法二条)、具体的な執行機関としては都道府県又は市町村などの教育委員会ということになり、また学校管理者たる校長の職責も職員の健康管理ということについて重要であるから訴外竹村の健康管理義務は大館市教育委員会及び本小学校長にもあるものというべきである。

なお、大館市教育委員会及び本小学校長の右健康管理義務は、労働安全衛生法及び学校保健法等に基づく法令上の義務であると同時に、教職員に対する労働契約上の安全保護義務でもある。

(二) 訴外竹村の健康状態

訴外竹村の健康診断票による血圧その他の検査結果は、別紙第五の一記載のとおりである。また、訴外竹村は、昭和五一年一一月ごろから同五二年八月にかけて自宅に近い常盤医院において高血圧及び腰痛の治療を受け、更に同五三年二月から三月にかけて自宅に近い佐々木医院において高血圧の治療(降圧剤の投与など)を受け、右各治療中に測定された血圧測定値は別紙第五の二記載のとおりである。ところで、高血圧症とは血圧が正常範囲より高い状態をいい、WHO(世界保健機構)の基準(六五歳未満の成人に適用)によれば、最大血圧(収縮期血圧)一六〇以上、最小血圧(拡張期血圧)九五以上で、最大血圧あるいは最小血圧のどちらか一方が基準より高くても高血圧と判定され、正常血圧は最大血圧一〇〇〜一三九、最小血圧六〇〜八九で最大血圧が一四〇〜一五九、最小血圧が九〇〜九四のときは境界域高血圧とされる。右によれば、訴外竹村は高血圧症の基礎疾病を有していたことになる。そして、右訴外竹村の血圧測定値を総合すれば、訴外竹村の高血圧の程度は、昭和五〇年度以降別紙第六の一の「高血圧重症度判定基準」記載の2、別紙第六の二の「WHOの本態性高血圧の分類」記載の第二期に該当し、要医療の状態にあり、別紙第七の「高血圧、動脈硬化性疾患の管理要綱」の表3指導区分記載の要医療欄の医療指導、生活指導に準じた医療ないし指導を行うべき状況にあつたものである。また、学校保健法、同施行規則の定める別紙第四の表一の「B」、「1」、表二の「B」、「1」に各該当するものであつた。

(三) 大館市教育委員会及び学校当局の健康管理義務違反

訴外竹村の右高血圧症の程度に鑑みれば、大館市教育委員会及び学校当局は訴外竹村については、①五二歳の年齢を考えて本人に全く未経験で、かつ本人が変更を希望しているような職務、②重い管理責任を伴う職務、③自宅への仕事の持ち帰りを含む時間外労働、頻繁ないし長期にわたる肉体的疲労をもたらす職務は制限されるべきであり、少なくとも昭和五一年度以降においてクラス担任をさせず、かつ高血圧症の治療状況に応じてその他の勤務時間の短縮の措置が必要であつた。これは、学校保健法施行規則一三条に基づく別紙第四の表二のBの義務に該当するものである。しかるに、大館市教育委員会及び学校当局は訴外竹村に対し、学校保健法、同施行規則の義務づける指導区分の決定及びこれに基づく事後措置を何等行わず、かえつて、前記のとおり異例な一、二年生担任を強いたほか、過重な職務を負担させ、時間外勤務や家庭における処理、研究等を余儀なくせしめ、その健康管理義務に違反したものである。

4  訴外竹村の死因

(一) 訴外竹村の死亡原因は、脳出血又は脳塞栓、すなわち脳卒中(脳血管疾患)による死亡とみるべきである。ところで、医学的には高血圧症の疾病を有する者に過労とストレスが生じると高血圧症及びこれに伴う動脈硬化症を進行増悪させ、ひいては脳卒中を発症さす素因を形成することが認められている。

訴外竹村は右のように高血圧症の基礎疾病が原因となつて脳卒中を招来し、死亡したものであるが、そうなるに至つた有害因子は次のとおりである。

(二) 過重な職務による慢性疲労の影響

訴外竹村の職務が過重であつたことは前記2で、また高血圧症に罹患していることが判明した後も訴外竹村の健康上の配慮がなされず過重な職務が継続されたことは前記3で各述べたとおりである。訴外竹村には高血圧の遺伝的素因はなく、右の職務の過重による慢性疲労が訴外竹村の高血圧を発症させ、かつ増悪させた原因である。

(三) 精神的ストレスの影響

精神的ストレスが血圧に及ぼす影響は非常に大きく、基礎疾病たる高血圧症を急激に増悪させる。訴外竹村は未経験の一、二年生担任、不慣れな家庭科等の研究主任、各種研究会の世話人、発表者等を担当することにより長期間にわたつて精神的ストレスを強いられ、発症当日は職員会議における学校当局との緊迫した議論により極度なまでに緊張・興奮し、強度の精神的ストレスを生じ、これが訴外竹村の高血圧症を急激に増悪させた。

(四) 酷暑下の直射日光の影響

訴外竹村は発症当日の職員会議中、三〇度を越す酷暑の中で、カーテンが破損していたため直射日光にさらされ、極度の不快感とストレスを昂じさせられたものである。

5  公務起因性

(一) 労災補償法理と業務上外認定の一般的基準

労災補償の対象である「業務(公務)上」の災害(負傷、疾病、障害又は死亡をいう。以下同じ。)について、労働省は市民法レベル同様の相当因果関係説を採用している。しかしながら、労災(公務災害)補償制度は憲法二五条、二七条に基づき労働者の生存権を具体的に保障すべく定立され、災害が「業務(公務)上」によることのみを要件として被災労働者(公務員)ならびに家族の生活保障を全うすべく配慮されているもので、資本制生産体制の下で従属労働を強いられ社会法則的に犠牲者とされる労働者とその家族の生活を、優越的地位にある使用者に保護させることを目的とする社会法的救済制度である。したがつて、右補償制度は、対等な市民相互間に発生した損害の分担を目的とする損害賠償制度とは目的が異なる。右の観点から考えると、「業務(公務)上」の認定に当たつては、一般の損害賠償制度における相当因果関係説を超克し、労働災害補償制度本来の目的に照らし、業務(公務)と災害との間に合理的関連性が存すれば足り、その証明も一般のそれよりも緩和されてしかるべきである。すなわち、厳格な科学的証明までは要せず、また特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性も要せず、経験則上全証拠を検討してその一応の蓋然性が証明されれば足りると解すべきものである。

(二) 基礎疾病がある場合の公務上外認定基準

近時の先例は、基礎疾病がある場合の公務上外認定基準について、次のような法理を形成している。

(1) 疾病あるいは死亡が業務を唯一の原因とするものではなく、基礎疾病が原因になつて疾病が悪化した場合又は死亡した場合であつても、業務が基礎疾病と共働原因となつて基礎疾病を悪化させた場合又は基礎疾病を悪化させ死亡の結果を招いた場合には「業務(公務)上」の疾病又は死亡と解すべきである。

(2) 当該労働者にとつて業務が基礎疾病を誘発又は増悪させるなど悪影響を与え(それは慢性疲労でもよい)、基礎疾病の自然増悪でない場合は、業務が基礎疾病と共働原因となつて基礎疾病を悪化させたものと推定すべきである。この場合、当該労働者の業務が他の労働者に比し、発病ないし死亡の直前に突発的又は異常である必要は全くない。

(3) 当該労働者が基礎疾病を誘発又は増悪させる可能性のある労働に従事していたこと及び自然増悪でない基礎疾病の増悪を証明したときは、これを否定する側が当該疾病が業務と関連性を有しないことを明確に証明しないかぎり、「業務(公務)上」と推定される。

(4) 使用者に健康管理義務違反がある場合、当該労働者の従事した労働は、基礎疾病を誘発又は増悪させる労働であつて、より強力に「業務(公務)上」であることが推定される。

したがつて、相当因果関係説に依つたとしても、右の法理に従つて判断されるべきものである。

また、公務遂行により基礎疾病が慢性的、漸進的に進行し、かつその進行した疾病が些細な誘因によつて急激に悪化、顕在化した場合は、右事態発生直前のみならず、長期にさかのぼつてそれ以前の公務遂行行為も公務上外認定の要因として考慮すべきである。

6  結論

以上のとおり、訴外竹村は高血圧症の基礎疾病を有していたところ、本小学校へ勤務するようになつて、従前経験のない過重な職務である小学一年という低学年の担任を任ぜられるなど職務内容の急激な変転があつたことに加え、研究主任という重責な職に就き、諸会議への参席など過密なスケジュールのもとに置かれる等慢性疲労の蓄積及び長期間にわたる精神的ストレスの発生を余儀なくされ、これが右高血圧症を増悪させていたこと、また発症日も直射日光の当たる悪環境下の職員会議に出席し、極度の緊張と興奮状況で議論に加わつていたため、訴外竹村の右高血圧症が急激に増悪させられたこと、加えて大館市教育委員会及び学校当局は右高血圧症に罹患していた訴外竹村に対し、勤務軽減等の措置をとらず、かえつて激務に就かせる等当局において健康管理義務違反があつたこと、右の結果右高血圧症の増悪が本件脳卒中を発症させ、訴外竹村を死に至らしめたものであり、訴外竹村の死亡は当然「公務上」と認定されるべきである。

よつて、訴外竹村の死亡を公務外とした本件処分は取消を免れない。

二  請求原因に対する認否<省略>

三  被告の主張

1  地方公務員災害補償法による公務上の災害に対する補償は、地方公務員である者の身の上に生じた一切の災害を対象とするものではなく、公務から生じた、すなわち公務起因性のあるものでなければならない。公務起因性とは公務との単なる関連性をもつことをもつて足りるものではなく、公務と災害との間に相当因果関係があるものでなければならない。右の解釈(相当因果関係説)は判例(最高裁判所昭和五一年一一月一二日、同五七年一〇月一四日)により確立された原則になつている。

相当因果関係説により本件を検討するに、脳卒中の発症は基礎疾病(動脈硬化、高血圧等)が自然的経過によつて増悪し発症する例が多いことに鑑み、これを公務上のものと認めるためには次のような明確な徴表が必要である。

① 基礎疾病増悪前にその原因と考えられる特別事情が存すること

② その特別事情が医学上基礎疾病を増悪させる原因となる性質、強さのものと認められること

③ その特別事情と基礎疾病増悪までの時間的間隔が医学上妥当と認められること

そして、右特別事情としては、

通常の業務に比して著しい精神的肉体的負担を伴う過重又は過激な業務

強烈な精神的、肉体的刺激を与える突発的出来ごと

通常の業務に比し、著しく不良な環境下での公務

が必要である。

2  以上の判断基準を前提にして考えれば、本小学校へ転勤後の訴外竹村の勤務状況は、小学校の低学年担当で特に過労の状況をみとめることはできず、発症時が夏休み中であつたことなどみると、心身の過労の蓄積はほとんど考えられず、かつ発症当日は盛夏の候にしてはむしろ低温で、湿度が多少あつたとしても気象状況が発症原因とは考えにくい。また、会議が訴外竹村に異常な興奮・緊張をもたらしたことはない。したがつて、本件発症は訴外竹村の長年に亘る病的素地が増悪して偶々勤務時間中に発症したもので、業務に起因するものではない。

四  被告の主張に対する認否

被告の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の(一)の事実(訴外竹村の死亡、本件処分の存在、再審査請求の経由)は当事者間に争いがない。

二そこで、訴外竹村の死亡が地方公務員災害補償法三一条所定の「職員が公務上死亡した場合」に該当するか否かにつき判断することにする。

ところで、「職員が公務上死亡したとき」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、公務と死亡との間に相当因果関係の存在が必要というべきであり、職員が既存の疾病(以下「基礎疾病」という)を有し、これが原因となつて死亡した場合であつても、当該公務が基礎疾病を誘発又は増悪させて死亡の時期を早める等それが基礎疾病と共働原因となつて死亡の結果を招いたものと認められる場合には、右公務と死亡との間には相当因果関係の存在が肯定されるべきものと解するのが相当である。

訴外竹村が高血圧症の基礎疾病を有していたこと、訴外竹村の死亡は右高血圧症が原因となつていることは当事者間に争いがない。そこで以下において、訴外竹村の死亡が高血圧症の自然増悪によるものであつたのか、或いは公務の遂行が高血圧症に作用し、これを増悪させたものであつたのかにつき検討する。

三訴外竹村の死亡原因

訴外竹村は、昭和五三年八月一九日午前一一時一〇分ごろ、本小学校三年二組の教室で行われていた学年部会の打合せ中突然倒れ、直ちに大館市立総合病院に収容され、脳梗塞の病名で治療を受けたが、同月三〇日午前四時二〇分ごろ死亡したこと、訴外竹村の死亡原因が脳血管疾患、いわゆる脳卒中であることは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  脳卒中は脳血管障害といわれるように、血管病変を基礎として起こる脳疾患であり、その原因、病状等により脳出血、脳梗塞及びクモ膜下出血等に、また脳梗塞は脳血栓と脳寒栓に分類されること、脳出血の大部分は高血圧が存在して起こる高血圧性脳出血であり、脳梗塞(うち発病は脳血栓が多い)は脳動脈硬化症の著しい高齢者に多く認められ、高血圧の存在は脳動脈硬化症を促進し、脳塞栓を生じさせやすくするのであるから、いずれにしろ脳出血及び脳梗塞は高血圧及び続発する血管病変が極めて重要な促進因子と考えられること(なお、脳卒中の発症には個人差が存し、その直接の要因、すなわち引き金となつた事実については、医学的にこれを判定することは困難であると考えられている。)

2  脳卒中の診断において、臨床症状からその病型を鑑別するのはクモ膜下出血を除けば困難であり、殊に脳梗塞のうち脳血栓と脳塞栓との区別は、典型的な脳塞栓症例を除けばかなり難しいとされていること、右診断にはCTスキャンなどの補助手段による検査が有用であるが、訴外竹村に対しては、右CTスキャンによる検査は行われていないし、解剖もなされていないこと

以上の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。

ところで、訴外竹村の死因については、前述のように脳卒中である限りにおいては当事者間に争いがないが、原告は脳卒中のうち脳出血又は脳塞栓と主張し、これに沿う趣旨の証拠として、前掲証人滝田杏児の証言及び甲第六〇号証(同人作成の「竹村吉民の脳卒中死に関する医学鑑定」と題する書面)があり、他方、被告は脳卒中のうち脳梗塞(脳出血と脳塞栓を含む)であると主張し、前掲証人根田芳昌の証言及び乙第四〇号証の二(同人作成の「滝田鑑定に対する見解」と題する書面)中には右主張に沿う部分が存する。

しかし、前記認定のように、訴外竹村に対しては脳卒中の病型診断のために有用とされているCTスキャンによる検査や、解剖がなされていないので、死因を正確に判定するに足りるだけの資料はいまだ十分でないというべきであるし、脳出血あるいは脳梗塞のいずれにしろ、高血圧が発症の重要な因子として働くというのであり、訴外竹村については後記のとおり長期間高血圧が続いていたのであるから、右原被告間の争いは、以下の判断に影響を及ぼさないと解すべきである。

四訴外竹村の高血圧症

訴外竹村の健康診断票による血圧その他の検査結果が別紙第五の一記載のとおりであること、訴外竹村は昭和五三年二月から三月にかけて自宅に近い佐々木医院において高血圧の治療を受け、右治療中に測定された血圧測定値が別紙第五の二記載のとおりであること、高血圧症とは血圧が正常範囲より高い状態をいい、WHO(世界保健機構)の基準(六五才未満の成人に適用)によれば、最大血圧(収縮期血圧)一六〇以上、最小血圧(拡張期血圧)九五以上で最大血圧あるいは最小血圧のどちらか一方が基準より高くても高血圧と判定され、正常血圧は最大血圧一〇〇〜一三九、最小血圧六〇〜八九で、最大血圧が一四〇〜一五九、最小血圧が九〇〜九四のときは境界域高血圧とされることは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  訴外竹村が昭和三九年から同五三年までの間、勤務していた小学校で毎年一回行われた定期健康診断による同人の血圧測定値は、別紙第五の一のとおりであり、同三九年ころから既に血圧は高かつたこと、訴外竹村は、昭和四九年七月に自宅に近い常盤医院で診察を受け(なお、それまでは高血圧の治療は受けていない。)、高血圧症と診断され、その後同五一年一〇月五日から同月一〇日までと、同五二年五月一一日から同年七月一日まで右高血圧症及び腰部神経症の治療のため同医院を訪れ、右高血圧症の治療として降圧剤の投与と日常生活における注意・指導を受けているのであるが、その際血圧の測定も行い、その測定値は次のとおりであつたこと、

昭和五一年一〇月 五日 一八〇―一一〇(mmHg)

同 五二年 五月一一日 一六〇―一一〇(同)

同   年 五月二七日 一七〇―一〇〇(同)

同   年 六月二七日 一五〇―一〇五(同)

その後、訴外竹村は、昭和五三年二月九日から三月二三日にかけて計五回佐々木医院に通院し、同医院では後頭部が重い、肩が凝る、めまいがするといつた高血圧の症状を訴え、血圧等の検査結果に基づき高血圧症と診断され(その際には血圧測定のほか、脈波、心電図等の検査もなされている。右血圧測定の結果は別紙第五の二のとおりである。)、脳循環改善剤の注射、降圧剤の投与といつた治療と日常生活における注意・指導を受けたこと(なお、その際労働軽減の指導はなされていない)、訴外竹村の佐々木医院での血圧測定値の推移をみると、右降圧剤等の効果が現われ、自覚症状が軽快し、血圧も低下しつつあつたが、昭和五三年三月二三日を最後に通院を止めてしまつた(以後は降圧剤の服用もしていない。)ため、同年六月の本小学校の健康診断では再び一七〇〜一〇六と血圧が上昇していること

2  訴外竹村の高血圧症は本態性高血圧症(以下単に「高血圧症」という)といわれているもので、格別の器質的な故障に基づくものではなく、その原因は現在もすべてが解明されているわけではないが、本人の遺伝素質及び気候、季節、殊に寒冷、食餌、特に食塩過剰摂取、精神的・肉体的ストレス等の環境因子により進行、増悪する高血圧症であること

3  高血圧症は、そのまま放置すると、脳卒中、心臓関係疾患等の合併症を併発する危険性が高いため、血圧を下げるための治療ないし血圧管理が必要であり、しかもその治療としてはなるべく早い時期に降圧剤の服用等の治療を開始することが有効であると考えられていること(なお、高血圧症に対し降圧剤を服用していた場合に、服用を中止すると、かえつて高血圧症が増悪するという、いわゆるリバウンド現象が生ずることがあるとされている。)

4  高血圧症の診断、治療のための基準として用いられているものには、国際的には前記のWHOの基準が、国内的には、集団検診等では一般に最高血圧一五〇以上、最低血圧九〇以上を目安とするもの、医師が専門的に使用する基準としては日本循環器管理研究協議会作成の「高血圧・動脈硬化性疾患の管理要綱」(別紙第七、以下単に「管理要綱」という)、東大三内科高血圧研究会作成の「高血圧重症度判定基準」(別紙第六の一)等があるが、これらの基準によると、患者の高血圧を判定するためには、血圧値のみでは不十分で、血圧値に脳の血管障害や、心臓、腎、眼底の所見等を併せて総合的に判断する必要があるとされていること

5  医師滝田杏児、同根田芳昌は、それぞれ本訴訟に至つてから、訴外竹村の死亡時ころの高血圧症の程度は、別紙第六の一、二記載の「WHOの本態性高血圧の分類」の第二期、「高血圧重症度判定基準」の二度に該当し、医療機関で継続的に治療を受けるとともに、高血圧症を進行させる生活環境の改善、すなわち減塩を中心とする食事指導、生活労働上の管理、特に労働上の対応としては高血圧の重症度、年齢、自覚症状などにより異なるが、規則的な生活(深夜業の禁止、制限等)、過度の長期間にわたる精神的緊張興奮からの解放、過激な労働の制限など健康管理医、主治医の指導の下に十分配慮する必要があつた旨述べていること、医師滝田杏児は右の制限される労働の例として、国会議員のように非常に緊張して演説をするような労働、強い精神的な緊張を伴う三交代制の労働、夜勤あるいは日勤と生活のリズムが狂うような業務をあげていること

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右の事実によれば、訴外竹村に対しては、過度の長時間にわたる精神的緊張興奮を伴う勤務や過激な勤務は高血圧の増悪因子となるため禁止さるべき状況にあつたものというべきである。

なお、前記管理要綱には、高血圧症の重症度に対応した指導区分に従つて、医療、生活を指導するように定められているところ、前掲証人滝田杏児の証言中には、訴外竹村の高血圧症の重症度は、右管理要綱の要医療の段階にあり、それに対応した指導区分に従つて労働上の措置を講ずべきである(要医療に対応する指導区分の労働の欄には、「仕事量は、各人の病状、環境に応じて健康人の五ないし七割程度にとどめる。」との労働軽減についての指導が掲げられている。)との部分が存するが、前記のように高血圧の判定は、血圧値のみでなく臓器等の所見をも併せて総合的に判断すべきものであるうえ、右管理要綱の「まえがき」には、高血圧に関する研究は今後の研究にまつべきものが多く、この管理要綱も一応の目安にすぎず、実際に適用する場合は必ずしもこれにこだわる必要がないとの適用要領が示されていること、前記佐々木医院では血圧測定、問診のほか、脈波、心電図の検査がなされていたのであるから、より適切な指導が期待できると考えられるのに、同医院でも労働の軽減等の指示は何らなされていないこと、更に、前掲証人根田芳昌の証言中には、「十数年前から薬を服用することにより、普通の勤務ができたのではないか。」との供述部分があることに照らせば、訴外竹村については、右管理要綱の要医療の段階にあつたものの、同人に対して労働軽減の措置を講ずる必要があつたとまでは認めることができない。

そこで、次に訴外竹村の勤務状況が右にいう高血圧の増悪をもたらす程度、内容であつたのか否かを検討することにする。

五訴外竹村の勤務状況

1  昭和五一年四月一日から同五二年三月三一日まで(昭和五一年度)

訴外竹村は、昭和一八年四月教員として採用され、同五一年四月一日本小学校に転勤してきて、一年生の担任を受け持つたこと、一年生の担任は他学年の担任に比較して多少手間のかかることがあること、本小学校は昭和五一年一〇月に大館市教育研究会の協力教授組織の公開研究会(算数)が予定されていたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  訴外竹村は、昭和一八年四月教員として採用されて以来、秋田県内の大久保、飯田川の各国民学校、前田、成章、城南、上沿川の各小学校で約三〇年間教べんを執り、同五一年四月大館市立釈迦内小学校(本小学校)に転勤して来て、同小学校では一年生の担任を命ぜられたのであるが、同人はこれまで小学一年生の担任を持つた経験がなく、しかも、既に五〇歳に至つた男性であることから体力的な不安もあり、当初これを引受けることを躊躇したが、担当後は意欲的に職務に励んだこと、小学校一年生はまだ集団生活に馴染んでおらず、しかも自分の身の回りの世話も十分にはできない年齢であるため、一年生の担任は単に教科の指導のみならず、生活指導の面にも神経を遣う必要があつたこと

(二)  訴外竹村の受持学級の生徒数は三一名で、昭和五一年度の教科等の配当は別紙第九記載のとおりであり、週に教科二三校時、道徳一校時、学級会一校時(以上が担任学級)並びに正課クラブ(将棋)一校時(四年生以上を対象)の合計二六校時であり(なお、右受持校時数は、本小学校及び秋田県内の他の小学校の教師のそれと比較しても平均的なものであつた。)、勤務時間は午前八時一五分から午後四時一五分(土曜日は午前一二時一五分)まで、週四四時間であつたこと、右教科等の指導(正課クラブの指導は除く)は、月、水、金の各曜日(一校時は四〇分)が午前一二時一〇分、火曜日が午後一時四〇分、木曜日が午前一二時二五分、土曜日(以上火、木、土の各曜日は一校時が四五分)が午前一〇時四五分に各終了し、その後、給食のある日は給食指導(約四〇分)、終りの会(一〇分ないし二〇分)等が担当学級で行われ、その時の勤務終了までの時間は清掃指導、教材研究、研修及び研究の準備、各種の会議等に費されていたこと、本小学校の同年度の授業日数は、一学期九五日、二学期一〇三日、三学期四九日の合計二四七日で、他方授業のない日は、日曜祝日六四日、長期休業日五〇日、研修日四日の合計一一八日で、年間の約三分の一に及んでいたこと

(三)  訴外竹村は一年生の担任という職務以外に、図書委員、研究推進委員会委員、学習指導部長等の職を担当した(このような職責を校内分掌事務という。なお、同年度の訴外竹村の校内分掌事務の割当ては、本小学校の他の教師のそれと比較しても平均的なものであつた。)ほか、本小学校では大館市教育委員会から教授組織の研究委嘱を受け、昭和五一年一〇月には「協力教授組織による授業改善」という主題で公開研究会を行うことになつており、一年生を担任する教師は、算数の一単元を細分化して割り振り、各教師が担当部分を全クラスの児童に教え、その教育効果を報告するということになつたので、訴外竹村は右の実践に努め、他の同学年の教師等と学習の進行状況、児童の理解度等を頻繁に打合せたり、会議を重ねたりし、特に教育委員会の視察があつた同年六月と、公開研究会の前月の九月はそのため多忙であつたこと、また、訴外竹村は右以外にもしばしば開かれた職員会議、学年部会、全校研修会等の会議にも出席していたこと、そのため、訴外竹村は、多忙な時期は自己の教材研究等を勤務時間内では消化できず、自宅に持ち帰つてこれを処理していたこと

(四)  訴外竹村は昭和五一年一〇月に腰部神経症等で医者にかかつた以外は医者にかかることも、また病気で学校を休むこともなく、片道約六キロメートルの道程を自転車で通勤し、毎日定時に出勤し、ほぼ定時に帰宅し、私生活においては毎朝三〇分のジョッギングを続けていたこと、そして、訴外竹村は右期間中時に家族に疲労を訴えることはあつても、特に体調を崩したことはなく、同僚や家族も訴外竹村の健康状態に異常があると考えたものはいなかつたこと

以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  昭和五二年四月一日から同五三年三月三一日まで(昭和五二年度)

昭和五二年度、訴外竹村は、二年生に進級した、前年度受け持つた学級を引き続き受け持ち、研究主任を命ぜられたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  訴外竹村は、前年度受け持つた学級(児童数も前年度同様三一名前後であつた。)を引き続き受け持つたが、訴外竹村にとつては二年生を受け持つのは初めてであつたこと、訴外竹村の昭和五二年度の教科等の配当はほぼ別紙第九記載のとおりであり、週に教科二四校時、道徳一校時、学級会一校時(以上が担任学級)、並びに正課クラブ一校時(四年生以上を対象)合計二七校時であり(なお、右受持時間は、本小学校及び秋田県内の他の小学校の教師と比較してみても平均的なものであつた。)、勤務時間も前年とほぼ同様で午前八時一五分から午後四時一五分(土曜日は午前一二時一五分)まで、週四四時間であつたこと、右教科等の指導(正課クラブの指導は除く)は、月、水の各曜日が午前一二時一〇分、火曜日が午後一時四〇分、木曜日が午前一二時二五分、金曜日が午後二時五分、土曜日が午前一〇時四五分に各終了し、その後、給食のある時は給食指導(約四〇分)、終りの会(約一〇分ないし二〇分)等が担当学級で行われ、その後の勤務終了までの時間は、清掃指導、教材研究、研修及び研究(研修部の国語の担当員)の準備、各種の会議等に費されていたこと

本小学校の同年度の授業日数はほぼ前年度と同じで、授業のない日は年間の約三分の一に及んでいたこと

(二)  訴外竹村の校内分掌事務は、PTA文化部、図書部の指導、研究部研究主任等であり(なお、右事務の割当ては、本小学校の他の教師と比較して平均的なものであつた。)、右の中で研究部研究主任が一番負担が重い担当であり、これは前年度までは教務主任が兼ねていたものを当年度から独立の担当としてもので、学校全体の中で各種研究計画の連絡調整、総括等を行うという職務で、そのための各研究部との連絡、打合せ等が行われたこと、右の他職員会議、学年部会等の会議を加えると、訴外竹村はしばしば会議、打合せ等に出席しなければならなかつたこと、そのため、訴外竹村は、多忙な時期は自己の教材研究等を勤務時間内で消化できず、自宅に持ち帰つてすることもあつたこと(ただし、同年度は訴外竹村が本小学校の勤務に慣れ、さして大きな行事もなかつたことから、右勤務による全体的な負担は前年度より軽減していたと考えられる。)

(三)  訴外竹村は、前記のとおり昭和五二年五月から同年七月にかけて腰部神経症等の治療のため常盤医院に、同五三年二月から同年三月にかけて高血圧症で佐々木医院に各通院し、佐々木医院に通院の際は、頭重感、肩こり、めまいといつた高血圧症の自覚症状が生じていたが、降圧剤を服用することにより右症状は軽快し、自らの判断で通院を止めたこと

(四)  訴外竹村は、前記の通院時期を除いては、腰痛を多少訴えることがあつたものの、特に体調を崩したこともなく、毎朝三〇分のジョッギングを続け、病気で勤務を休むことも殆どなく、自宅から学校までの約六キロメートルの道程を自転車で通勤し、毎日定時に出勤し、ほぼ定時に帰宅する生活を続け、同僚や家族も訴外竹村の健康状態に異常があると考えたものはいなかつたこと

以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  昭和五三年四月一日から夏休み直前の同年七月一八日まで(昭和五三年度)

訴外竹村が、昭和五三年度は、学級編成替えをした三年生の学級を受け持つたほか、放送部、PTA文化部の各指導、学校運営委員、大館市教育研究会国語部会世話人(司会)、研究主任の各職務を担当したこと、本小学校は同年度大館市教育研究会家庭科担当校に指定されるとともに、算数が重点研究教材となり、同校の職員全員がいずれかの科目を担当して共同研究をすることになつたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、以下の事実が認められる。

(一)  訴外竹村は、昭和五三年度は学級編成替えをした三年生の学級を受け持ち、同学級の児童三五名前後の内約三分の二は新たに訴外竹村の学級に入つてきた児童であつたこと(ただし、協力教授等の関係で全く初めて接触する児童はほとんどいなかつたものと推測される)、訴外竹村の昭和五三年度の教科等の配当は、別紙第一〇記載のとおりであり、週に教科二六校時、道徳一校時、学級会一校時(以上が担任学級)及び正課クラブ一校時(五年生以上)の合計二九校時であり(なお、右受持校時数は、本小学校及び秋田県内の他の小学校の教師のそれと比較しても、平均的なものであつた。)、勤務時間は午前八時一〇分から午後四時一〇分(土曜日は午前一二時一〇分)まで、週四四時間であつたこと、右教科等の指導は月、火、水、金の各曜日は午後二時一五分、木曜日が午後三時一〇分、土曜日が午前一〇時五五分に各終了し、その後(木曜日は五時限目終了後)約一〇分ないし二〇分間の終りの会が担当学級で行われ、その後の勤務終了までの時間は、教材研究、研修及び研究(算数の研究部員、研修部の国語の担当員であつた)の準備、各種の会議等に費されていたこと

(二)  訴外竹村が担当した校内分掌事務の中では、研究主任、放送部指導の負担が他に比較して重く(なお、右校内分掌事務の割当ては、本小学校の他の教師と比較して平均的なものであつた。)、特に研究主任については、同年度が大館市教育研究会の家庭科担当校に指定されたため、その計画立案の連絡調整等に努力し、また放送部の指導は、初めての経験であつたため、神経を使うことがあつたこと、そして、訴外竹村が出席した会議、打合せは、職員会議、学年部会、各種研究、研修会等数種類に及び、これらの会議、打合せはしばしば行われていたこと、そのため、訴外竹村は、多忙な時期は自己の教材研究等を勤務時間内で消化できず、自宅に持ち帰つてすることがあつたこと

(三)  訴外竹村の右期間の勤務状況は、四月が出勤二二日、出張一日(日曜祝日六日、休業日一日)、五月が出勤二四日、出張一日(日曜祝日六日)、六月が出勤二三日、出張三日(日曜祝日四日)、七月(一八日まで)が出勤一三日、出張一日(年次休暇一日、休日三日)で、通常どおり勤務し、これまでどおり病気で休むようなこともなく、天候の許す限り自宅から本小学校までの約六キロメートルの道程を自転車で通勤し、毎日定時に出勤し、ほぼ定時に帰宅していたこと、同年六月には生徒チームと職員チームとの野球試合、PTA父兄と職員とのバスケット試合に参加し、私生活においても、毎朝三〇分のジョッギングを続けていたこと、訴外竹村は右期間中、特に体調を崩したこともなく、したがつて医者にかかつたこともなく、同僚や家族も訴外竹村の健康状態は普通であると考えていたこと

以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

4  昭和五三年七月一九日から同年八月一八日まで

昭和五三年七月一九日から同月二四日までは学期末の事務整理を行う時期であつたこと、学期末の事務として担任児童の成績評価、試験答案の採点、通信簿等の記録作成、PTA会費等の会計事務、夏休み中の家庭学習教材の準備、家庭通信の作成等があつたこと、本小学校は同月二六日から夏休みに入つたこと、夏休み中の訴外竹村の勤務状況等が別紙第一一の「訴外竹村の勤務状況等」欄のうち、七月二六日、二七日、三一日、八月二日、五日ないし八日、一〇日の各欄記載どおりであり、七月二八日、二九日、八月一日、九日、一一日、一二日、一四ないし一六日が自宅研修日であつたこと、訴外竹村は七月二六日築山小学校で行われた研究会ではその司会を担当したことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、訴外竹村は昭和五三年七月一九日から同月二五日までは二三日の日曜日を除いて通常通り出勤したこと、夏休みに入つた以降の訴外竹村の勤務に関係する主な行動は別紙第一一記載のとおりであり、右期間の各期日は本小学校では同記載「本小学校での取扱い」欄記載のとおり取り扱われていたこと(作文教育研究会と算数教室は個人的な参加となる)、訴外竹村は七月一九日、二〇日ころは通信簿の記載等の学期末の事務のため、同月二五日は築山小学校の研究会の準備のため自宅で夜遅くまで仕事をしたが、夏休み中の自宅研修日で格別の予定の入つていない日は、午前五時に起床し、朝食前に三〇分程度ジョッギングをし、昼間は専門書等の読書、庭木の手入れ等を行い、夜は午後七時三〇分ごろ就寝するというこれまでどおりの生活を続け、右期間中の健康状態には格別の異常は見受けられなかつたこと

が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

5  昭和五三年八月一九日

訴外竹村は昭和五三年八月一九日午前七時五〇分ころ本小学校に出勤し、午前八時三〇分ころから同一〇時五分ころまで職員室で行われた職員会議に出席したこと、午前九時に大館市消防署が観測した湿度が八二パーセントであつたこと、職員室における訴外竹村の席は南東窓ぎわにあつたこと、職員会議では、教頭から始業式の日程について、始業式後直ちに児童を町内児童会に参加させたい旨、また二学期行事予定に関し、遠足を土曜に行い、一年生から六年生までの児童をたて割りに分けて実施したい旨提案がなされ、訴外竹村がこれに対し意見を述べたこと、訴外竹村は右職員会議の後、午前一〇時二〇分ころから同一〇時五〇分ころまで本小学校三年三組の教室で開かれた図書指導部会に出席し、右終了後の午前一一時ころから同校三年二組の教室で開かれた学年部会に出席したところ、同一一時一〇分ころ突然倒れたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  昭和五三年八月一九日、訴外竹村はいつもどおり午前五時ころ起床し、町内を軽くジョッギングしたあと朝食をとり、自宅から本小学校まで約六キロメートルの道程を自転車で出勤したこと、出勤前の自宅での様子には格別の異常は認められなかつたこと

(二)  同日午前八時三〇分ごろから職員全員参加のもと職員会議が開かれたが、右会議は同月二一日から始まる二学期を迎えるに当たり、職員の気持の切り替えを図ると同時に、学校当局者側から始業日当日の日程、二学期に予定されている研究会、行事等が提示・説明され、これらも含め二学期の準備、計画について話し合う趣旨で開かれたものであること、右会議は堅苦しい服装で出席する必要のないものであり、訴外竹村もポロシャツを着用して出席していたこと、右会議上、冒頭、教頭から始業式当日の日程に関し、始業式後直ちに児童を町内児童会に参加させたいという趣旨の提案があつたが、これに対し訴外竹村から長い夏休み後のことであり学級担任はあらかじめ児童の様子を見てから町内児童会に参加させたいという趣旨の発言があり、他の職員も同様の意向であつたので、結局始業式当日の日程は訴外竹村の意見どおりに決まつたこと、また、教頭から、二学期の行事予定に関し、遠足を土曜日に行い、一年生から六年生までの児童をたて割りにして実施したいとの提案があつたのに対し、訴外竹村から、土曜日に遠足を実施すれば、午前中で引き上げて来なければならず、時間的に無理があり反対であるという趣旨の発言があり、その場は遠足を土曜日に行うということは困難という雰囲気であつたが、たて割り実施の点も含めて生活指導部で検討してもらうことになつたこと(なお、その後同年度の遠足は従前どおり平常日に行なわれた。)、その他、訴外竹村から、指導部の改善点について、運営指導部と委員会活動の運営の仕方がうまくいつていないから、年度途中でも機構を変えていくようにしてもいいのではないかという趣旨の発言があつたこと、

ところで、職員室での訴外竹村の席は、南東の窓ぎわにあり、右会議の途中日射が強くなり、訴外竹村の背部からガラス越しに日が当たり、これを避けようとして、同人がそのカーテンを引こうとしたが、カーテンが破損していたため十分にその目的を達することができないということがあつたこと

(三)  同日午前一〇時五分ころ職員会議が終了し、約一五分ほど休憩をはさみ、同一〇時二〇分ごろから約三〇分間にわたり、本小学校の三年三組の教室内の比較的涼しい場所を選んで図書視聴覚部指導部会が開かれ、訴外竹村のほか六名の同僚教師が参加したこと、更に、右部会終了後、約一〇分ほど休憩をはさみ、同一一時ごろから隣室の三年二組の教室内の比較的涼しい場所を選んで学年部会が開かれ、訴外竹村のほか二名の同僚教師が参加したこと

(四)  学年部会が始まつて一〇分程したところで、訴外竹村が資料を取りに行つた他の教師に呼びかけて机に手をつつぱり立ち上がろうとした際、突然顔面が蒼白になつて体の異常が発現し、直ちに入院することとなつたが、同年八月三〇日入院先の病院で死亡したこと、以上三つの会議を通じて、席上、訴外竹村は右発作が起きるまでの間、体調の異常等を訴えたこともなく、また外見上特に変わつた様子も見られなかつたこと、なお、職員会議においては、前記のとおり、訴外竹村が教頭の提案に反対の意見を述べてはいるが、その結果、教頭との間で議論の応酬があつたわけではなく、またその後の二つの会議は打合わせを内容とするものであり、出席者が緊張して応対しなければならないようなことは全くなかつたこと

(五)  当日午前中は薄曇りで、大館市片山町所在の大館地域気象観測所の観測では、午前九時が摂氏二三度、正午が摂氏二七・四度、日照時間については午前七時から九時までの二時間は零分と各測定され、同市根戸下新町所在の大館広域消防署の観測では、午前九時摂氏二三・三度、湿度八二パーセント、正午摂氏二八・五度、湿度六九パーセントと各測定されており、当日午前中、本小学校の右職員会議等に出席した職員らには蒸し暑さのため、不快感を感じさせる気象状況であつたこと、なお、本小学校のプール付近では午前九時が摂氏二八度、午前一二時二〇分が摂氏三〇度と測定されていること

以上の事実が認められ、<証拠>中には右認定に反する部分があるが、<証拠>によれば、右各意見書を作成した医師は職員会議に同席して直接現場の状況を現認したわけではなく、いわば又聞きの事実を前提として判断したというのであつて採用することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

六本症と公務との関連性

以上認定の事実に基づき、以下訴外竹村の公務が同人の高血圧症の増悪に寄与し、脳卒中を発症させたものであるか否かを考察する。

1 まず、原告は、訴外竹村の本小学校での公務(昭和五一年四月一日から本発症前日の同五三年八月一八日まで)が同人の高血圧の進行、増悪に寄与し、それが原因となつて脳卒中を発症させた旨主張するので検討する。

訴外竹村は、昭和五一年度は他学年の担任と比較して一般的な生活指導や給食指導等に手間のかかる一年生の担任を初めて担当し、しかも同年度は協力教授組織の公開研究会の準備等にも意欲的に取り組み、そのため教材研究等が勤務時間内に処理できず、自宅に持ち帰つて処理したこともあつたというのであり、同人が小学校教師として高年齢であつたことを考えると、同年度は公務のため同人に相応の精神的、肉体的疲労が生じたこともあつたものと推認することができる。また、昭和五二年度、同五三年度(脳卒中発症の前日まで)も、研究会等の準備等で忙しい時期は教材研究等を自宅に持ち帰つて処理することもあり、担任以外にも研究主任等の責任ある校内分掌事務を担当し、昭和五三年度の夏休み期間中も各種研究会等に参加していたというのであるから、忙しい時期には同人には相応の精神的、肉体的疲労が生じていたことは推認しうる。

しかしながら、訴外竹村の昭和五一年度から同五三年度までの受持学級の児童数、受持校時数、校内分掌事務の割当ては本小学校等の他の教師と比べて格別重い負担を負わせるものではなく、かえつて、低学年の担任は高学年の担任より児童を下校させたあとの勤務終了までの時間に余裕があり、低学年児童の取り扱いも、児童が学校生活に慣れるに従つて軽減されるものと思われ、また、右研究会等の準備に忙しい時期は年間を通じて常時あつたわけではなく、授業のない日も年間の約三分の一程度あり、加えて訴外竹村は右期間を通じて病気で学校を休んだことはほとんどなく、自宅から毎日片道約六キロメートルの道程を自転車で通勤し、毎朝約三〇分間のジョッギングを行い、校内のスポーツ試合にも参加するなど外観上は極めて健康的な生活を送つており、同僚や家族の中にも同人の健康状態に異常を認めたものはいなかつたというのである。そして、訴外竹村には、夏休みに入つてから自宅で休養をとり得た日もかなりあつたのであり、夏休み期間中に研究会等に参加することによつて生じた疲労が、休日等において回復されることなく蓄積していたとも考えられない。更に、訴外竹村の血圧測定値をみても、本小学校へ転勤して来た前後で急激な変化は認められず、訴外竹村は常盤医院や佐々木医院で高血圧の治療を受けてはいるが、自らの意思で治療を止めており、右佐々木医院の治療の際も医師から労働軽減の注意はなされておらないのであつて、これらの事情を考慮すれば、訴外竹村の本小学校での右期間の公務が、同人の高血圧症を増悪させるような内容、程度であつたこと、すなわち過度の長時間にわたる精神的緊張を伴うものであつたり、過激な勤務ということはできないというべきである。

2 次に、原告は、昭和五三年八月一九日の会議の緊張、興奮及び酷暑下で直射日光にさらされたことにより、高血圧症の基礎疾病を有する訴外竹村において、極度の不快感とストレスを昂じさせ、脳卒中を発症させたものである旨主張するので検討する。

訴外竹村の職員会議での主な発言は、教頭の提案に対する反対意見であり、また、当日は右会議に出席した職員らに蒸し暑さのため不快感を感じさせる気象状況であつたところ、職員会議の最中訴外竹村の背後からガラス越しに同人に日が当たつたこともあつたというのであるが、他方、右職員会議は二学期の行事予定等の打合せを目的としたものにすぎず、したがつて右会議が殊更緊張を強いるような状況で進行していたとは考えられないうえ、訴外竹村と教頭との間で議論の応酬があつたわけではなく、結局始業式の日程については訴外竹村の意見が採用され、遠足の件についてはその場で教頭の右提案が受け入れられたわけではなく、生活指導部による後日の検討に委ねられたのであるから、訴外竹村が右発言のため特に激しい精神的緊張、興奮に陥つていたものとは考えられず、また、当日の気温は夏の日としては格別高かつたものとはいえず、天候も時々日が射すことはあつたにしても、全般的には薄曇りであり、右職員会議の終了から本発症まで約一時間二〇分を経ているうえ、右職員会議中も含めて訴外竹村が体調の異常を訴えたこともなく、外見上も特に変わつた様子も見られなかつたのであつて、右気候条件のもとで訴外竹村の背後に日が当たつたことが、訴外竹村の体調に何らかの影響を与え、本発症に至らしめたものとは考えられないというべきである。

3 本態性高血圧症については、降圧剤の服用を中止すると、かえつて高血圧症が増悪するという、いわゆるリバウンド現象が生ずることもあるといわれているところ、訴外竹村は昭和五三年三月を最後に、降圧剤の投与を受けていた前記佐々木医院の通院を自らの判断で止め、以後降圧剤の服用をしていないこと、高血圧の治療としてはできるだけ早い時期に降圧剤等の服用を開始することが有効であると考えられているのであるが、訴外竹村は昭和四九年に前記常盤医院で薬物療法を受けるまでは、治療を受けたことはなかつたこと、更に、脳血管疾患たる脳卒中の発症には個人差があり、通常脳卒中発症の直接の要因(引き金となつた事実)については、医学的に判定することは困難であるとされていること等の事情もあることは前記のとおりであり、訴外竹村の脳卒中の発症は、同人の長年にわたる高血圧症が動脈硬化等の脳血管の病変を形成し、こうした病的素地の自然的推移の過程において、たまたま公務遂行中に起こつたと推認されるのであつて、訴外竹村の脳卒中による死亡を公務に起因するものと認めることはできないというべきである。

もつとも<証拠>中には、訴外竹村の脳卒中による死亡は、その業務内容、精神的緊張・興奮による血圧亢進が重大な要因として考えられるという部分があるが、既に認定した訴外竹村の公務の内容、勤務状況、職員会議での発言の状況、気象状況等に照らすと、右意見にはにわかに賛同することはできない。

七以上によれば、訴外竹村の死亡を公務に起因したものとは認められないとした被告の本件処分は適法であるから、その取消を求める原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。

よつて、原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官福富昌昭 裁判官宇田川基 裁判官稲葉一人)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例